【ひらく】と印象が変わる

【ひらく】という言葉は、広告制作の現場で使われると一般の意味とは全然違ってくる。一般には文字通りの『開く』という<オープン>の意味で使われると思う。

実際の現場では「これは、ひらいて!」とか言われる。つまりどういうことかというと、

漢字で書かれた言葉をひらがなにする

という意味だ。同じ言葉でも文字になると、その言葉から受ける印象が変わると感じたことはないだろうか?

例えば、『心』という言葉。話し言葉だと全く感じないことが、文字という見えるカタチになると、途端に雰囲気が変わってくる。

心 こころ ココロ

漢字の『心』は<真面目><お堅い><シリアス><堅苦しい><神聖さ>など、清らかで揺るぎない印象。

ひらがなの『こころ』は<優しい><やわらかな><あたたかみ><ほっこり感><安らぎ>など、包容力や情のある印象。余談だが夏目漱石の小説のタイトルもひらがなだった。

カタカナの『ココロ』は<科学的><軽やか><心地よさ><元気感><ポップ感>など、取っつきやすい印象。

これら以外の印象を持つ人もいると思うが、大体上記のような印象の範囲に収まるだろうと思う。日本語には漢字・ひらがな・カタカナの表記によって、どうやら印象が変わってしまう“特徴”があるようだ。他の言語にはない世界唯一のことかもしれない。

『薬』『くすり』『クスリ』でも印象が違うと思う。調剤薬局などはどちらかといえば『薬』、ドラッグストアなら『クスリ』、小児科医院や動物病院では『おくすり』となっていることが多いと思う。

意識的にせよ無意識的にせよ、なぜ、そういう使い分けがされているのだろうか?

それは、買う人、来る人、買ってほしい人、来てほしい人を考えて使い分けているからに他ならない。彼らをマーケティング用語で『ターゲット』という。

このターゲットに合わせて広告制作の現場において、漢字がいいのか、ひらがながいいのか、カタカナがいいのか、をいちいち考えている。コピーライターがそのことに神経を遣い、キャッチコピーやリードコピーに表現する。

例えば、ヤナセというカーディーラーがあるが、その広告コピーで、

クルマはつくらない、クルマのある人生をつくっている。

というものがある。如何だろうか?クルマをあえてカタカナ、作らないではなく『つくらない』、作っているではなく『つくっている』。これを漢字で普通に書くと、

車は作らない、車のある人生を作っている。

となる。言っていることは変わらないのに、印象は随分と違うと思う。前者は洗練された雰囲気と余裕を感じるが、後者は実直で職人気質のような頑固さを感じないだろうか。言っていることは同じでも印象はまるで逆だ。

どう感じるかは人それぞれで構わないが、同じ内容でも表記によって印象が違うということを感じてくれたらと思う。

仕事でメールを使用することが多いと思うが、ところどころ漢字をあえてひらがな、あるいはカタカナで表記する【ひらく】ということを戦術的におこなうと、相手に自分の印象を作ることができることを覚えておいても損はないかもしれない。また、相手によって使い分けてもいい。セルフブランディングの一助にも役立つと思う。

<例1> 
偉井部長、お疲れ様です。 
明日の飲み会は午後7時からです。 
いらっしゃる時はお電話下さい。
宜しくお願い致します。

<例2> 
偉井部長、お疲れさまです。
明日の飲み会は午後7時からです。
いらっしゃる時はお電話ください。
よろしくお願いいたします。 

読み手と【字切り】

一般に【字切り】という単語は耳慣れない言葉だと思う。広告制作の現場ではよく言われる言葉なので、業界用語と言ってもいいかもしれない。

何かというと、例えば次のようなコピーがあるとする。

かわいい子には旅をさせろ、それは生きていく知
恵を育むことを願う親心だ。少年よ、旅に出よう。

インターネットの世界ではこういう感じではないだろうか。しかし、紙媒体に掲載するとなれば、これではいけない。紙媒体に掲載する時は、

かわいい子には旅をさせろ、それは生きていく知恵を
育むことを願う親心だ。少年よ、旅に出よう。

となる。言っていることはまったく変わっていない。違うのは『知恵を育む』の部分を『知恵を』で敢えて改行し、『育む』を二行目から書いてあるかどうかの違いだけだ。意識的に改行されている後者のほうが、読み心地としてはよくなっていると思う。

読み手になるべくストレスを与えずに読んでもらうために、意識的に改行することを、

【字切り】

という。インターネットの世界では、この【字切り】を考慮していない。それは恐らく、端末によって見え方が違ってしまい、こうした【字切り】の意味がなくなってしまうからだろうと思う。そのため、インターネットでは時々おかしな終わり方が散見される。

例えば、

来年の東京オリンピックのマラソンは北海道の札幌に急に決まった。

最後の「た。」が勝手に改行されて字余りのような終わり方になってしまうというものだ。

紙媒体であれば、グラフィックデザイナーがそれぞれの文字と文字の間を調整して、一行に収まるようにする。

この文章で言えば『オリンピック』や『マラソン』という各文字の文字と文字の間は『北海道の札幌に急に』よりも余裕がある。

特に、

オリンピック

の『リ』と『ン』や『ッ』と『ク』の間は余裕がある。そこの文字間を詰めて『た。』だけが改行されないようにする。それでも難しい時は、

マラソン

の『ラ』『ソ』『ン』の間を詰めるなどで対応する。

広告制作の現場では、こうした地味な作業をおこなっている。常に読み手がより読みやすいように、また、全体のデザインのバランスを崩さないように、である。

電車の中吊り広告は、この【字切り】が駆使されているので、時々そういう視点で眺めてみると、窮屈&退屈な通勤通学の電車内がちょっとだけ楽しくなるかもしれない。


ブランディングは1日にして成らず

ブランディング、よく耳にする。ましてや、広告制作の仕事をしていると、それが仕事だったりする。ブランディングとは?と改めて考えた時、『目に見えない価値』と言い換えることができる。目に見えない価値とは何か?というと、世界観、信頼、思想、物語、歴史、文化というものだ。

それらを送り手が受け手にできるだけ正確に伝え、認識させる『作業』が、いわゆるブランディングといわれる。

例えばA社が新商品を発売するにあたり、その商品をA社のブランドとして育てたいとする。そこではA社がどういう思いで開発したのかがまず重要になってくる。

今のトレンドに沿った、マーケット受けする新商品という位置付けは、ただ単にマーケットを飽きさせない話題作りでしかなく、ブランディングとは違う。

その新商品をA社のブランドとするには、どういう思い<思想>で開発<物語>したかが必要不可欠になる。開発秘話を見たり聞いたりした時に、何気なく買っていた商品が違ったものとして見えてきた経験はないだろうか。それがブランドの持つ力であり価値のひとつだ。身近な商品でいえば、日清食品のチキンラーメンの開発秘話がそれに該当する。

また、よく老舗の和菓子屋の暖簾に『創業寛永◯年』と書いてあるのを見たことがあると思う。それは『歴史』という目に見えない時間価値を示し、その歴史に裏打ちされた『信頼』の証をそっとブランディングしている。『宮内庁御用達』も同様。それを街ぐるみでやっているのが京都。京都という街自体が、まさにこの『歴史』と『信頼』を最大限ブランディングし『日本文化』の代表都市として世界に認知され、今の外国人観光客の誘致に成功している。

つまり、

ブランディングは1日にして成らず、

である。腰を据えて時間をかけ、じっくりと丁寧に取り組み“続ける”こと。文字通りBRAND“ING”で現在進行形なのだから。故に送り手側は常にブランドのための手間と時間とお金を惜しまない覚悟が必要になる。だからこそ、マーケットで差別化ができ、唯一無二な存在として信頼を勝ち取り、揺るぎない地位と価値を確立できる。それは価格競争に巻き込まれにくいことにも繋がる。

ただ単に知名度を上げることだけがブランディングではない。